(1)戦国末期に 、戦略的城郭として造られ現存する我が国唯一の五重六階の天守
松本城を除く国宝 3城の天守は1600年、関ケ原の戦い以後徳川政権下で領国支配のため権威を誇示する目的で 築造された白亜の天守である。それに対して、松本城天守・渡櫓・乾小天守は秀吉が家康を監視するために造らせた武備で固められた下見板張りの黒を基調とした天守である。

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| 姫路城 1603着工〜1609完成 |
彦根城 1600着工〜1622完成 天守は1606完成 |

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犬山城
1532創建・1620完成
1・ 2階 1532創建 3・4階 1600年増築
1620年4階廻縁 唐破風を付ける |
松本城
1593〜94築造
1634頃 月見櫓・辰巳附櫓付設 |
※松本城の太鼓門枡形・黒門枡形は外枡形形式で内枡形より攻撃性が高いといわれている。
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(2)松本城は国宝4城のうち、唯一の平城である。
松本城天守は国宝 4 城の中では唯一の典型的な平城である。複合扇状地の先端に築かれた天守は軟弱地盤ゆえに天守台内部に 16本の支持柱を埋め込み天守台を強化し、堀底に筏地形を施こして石垣を積み上げる等、他の天守には類をみない工夫がなされている。
※ 松本城は平城である。戦国時代山城は守りには利があったが、武士団を居住させ、商人や職人を住まわせ商工業を展開させるには不便であった。平城の防備のために水堀りを三重にも巡らし、土塁・土塀を堀の内側に構築して防備を固めた。松本城は 梯郭式+輪郭式 といわれる形式である(姫路城・渦郭式/彦根城・犬山城・連郭式)。国宝 4 城の中では松本城は唯一の平城である。

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| 姫路城・・姫山の上築かれている平山城 |
姫路城6階より見た姫路市 |

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| 彦根城・・金亀山上に築かれている平山城 |
犬山城・・木曽川の断崖上にある。 |
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(3)戦国末期の戦略的天守と泰平の世になって付設された櫓が連結複合された城郭
豊臣時代の戦略的な拠点としての天守と、徳川時代の瀟洒な櫓が複合し、建築様式の違いが明確にわかり時代の変遷を感じられる城郭は他に類を見ない。
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(4) 松本城総堀の両側より防御用の杭列が発見された極めて貴重な歴史遺構
昭和 45年追加指定された松本城総堀の両側から防御用の杭列が発見された。この遺構の発見は 米沢城の事例に次ぐもので、「大坂冬之陣図屏風」に描かれ大坂城の堀の防御用の杭と同じ役割を果たしていたものと推定されている。極めて貴重な歴史遺構である。
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| 東総堀内側〔西側〕出土の杭 |
東外堀外側〔東側〕出土の杭列 |
大坂冬之陣図屏風 堀の内側の土塁裾部に無数の防御用の杭が見られる。

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(5)市民の意志と行動により明治初期の破壊を免れ保護された天守
松本城天守は松本横田町の副戸長市川量造や市井の人々の努力により一旦落札された天守において博覧会を開催する等の努力により買い戻されて保存された。
このように松本城天守は民間の人々の意志と行動により保存された稀有の天守である。
姫路城は廃藩後陸軍の用地となったが中村大佐はこの名城を残すべく陸軍卿山県有朋に説いて名古屋城とともに陸軍省の費用で修理された。彦根城は明治天皇北陸行幸の折、大隈重信の力をかりて天皇に直訴し宮内省の費用で修理された。犬山城は明治 24年濃尾地震により大破した。犬山城を 国は旧領主成瀬家に修理を条件に払い下げ、成瀬家の資金により修理された。
松本城は明治 5年1月競売に付され235両余で落札されたが、下横田町副戸長であった市川量造の奔 走によって博覧会を天守で開催することにより、これを買い戻した。また、明治 30年代に傾き始め た天守を松本中学校長小林有也、時の小里頼永松本町長らの力によって県の内外から 2万円の寄付 金を集め明治の大修理を敢行した。このように民の力で守られた稀有の城郭である。
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市川量造
明治6年から9年にかけて、松本城天守を会場に5回の博覧会を開催し、天守を買い戻した。
〔明治4年3月〕 |
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小林有也
松本中学校長
松本城天守の荒廃を憂い小里頼永と天守保存会を造り明治の大修理を行う。 |
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