国宝松本城を世界遺産に!長野県松本市にある、国宝松本城を、松本市の新たな文化の創造とまちづくりの推進のため、世界遺産登録への推進運動を紹介しています。

松本城天守を建築した石川氏

 

おもてなし隊「石川数正」(6月23日(火)撮影)

石川数正(いしかわかずまさ)という人物をご存知ですか。数正は、かつて松本を治めていた武将です。石川氏は、数正と息子の康長(やすなが)の2代にわたり、23年間松本を治め、松本城天守の建築に大きく携わりました。
石川氏は、もともと徳川家に仕える老臣でした。家康が幼年に駿府(現在の静岡県静岡市)の今川氏の人質となった時には、数正が小姓として従い、家康を岡崎城(現在の愛知県岡崎市)に帰還できるよう非常な努力をはらうなど忠義を尽くし、家康に重臣として信頼されていました。
ですが、1585年、数正は突然岡崎城を脱し豊臣秀吉に仕えはじめます。秀吉は和泉国(現在の大阪府南西部)を与え、大名として迎え入れました。なぜ秀吉に走ったかは戦国史上の謎の一つとされており、家康、または秀吉の政治的工作ではないかと考えられています。いずれにしても、この事件で徳川家は大きな打撃を受け、石川氏を警戒するようになりました。
1590年、秀吉は天下統一を果たします。数正は松本に移り、家康の監視と松本城の保存を任されました。秀吉にとって、松本城は家康がいる江戸を見張るための要の城であったことが分かります。
数正の松本在城はわずか3年間でしたが、その間に松本城の本格的な建設に着手し、天守を頂点とする構想と起工を企てました。数正は1592年の朝鮮出兵に従い、その年の末に亡くなりますが、息子の康長の代が受け継ぎ松本城建設を完遂させます。大天守(だいてんしゅ)・乾小天守(いぬいこてんしゅ)・渡櫓(わたりやぐら)の3棟と本丸・二の丸御殿をつくるなど、松本城は近世的城郭として本格的につくりなおされました。石川氏は、松本城天守の建築になくてはならない存在だったのですね。
松本城では、石川数正をはじめとした武将や忍者の装束をまとった「おもてなし隊」と写真を撮ることができます。来城の際は、是非一緒に写真を撮ってみてください。
(参考:松本市教育委員会『国宝松本城』、『わたしたちの松本城』)

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