2月25日は、市川量造(いちかわりょうぞう)氏が亡くなった日です。
松本城天守は、明治時代に入り取壊しが進み、明治5年(1872)には競売に付されました。そのような状況で、市川氏は筑摩県に建言書を提出し博覧会を5回開くと、その収入を松本城天守の買戻し資金に充てました。
松本城が現存するのは、市川氏をはじめとする多くの市民のおかげということがよくわかりますね。
(参考:『松本市史 第二巻歴史編Ⅲ近代』)
2月25日は、市川量造(いちかわりょうぞう)氏が亡くなった日です。
松本城天守は、明治時代に入り取壊しが進み、明治5年(1872)には競売に付されました。そのような状況で、市川氏は筑摩県に建言書を提出し博覧会を5回開くと、その収入を松本城天守の買戻し資金に充てました。
松本城が現存するのは、市川氏をはじめとする多くの市民のおかげということがよくわかりますね。
(参考:『松本市史 第二巻歴史編Ⅲ近代』)