市川量造氏 115回目の命日

2月25日は松本城天守保存のために尽力した市川量造氏の115回目の命日です。

明治4(1871)年の廃藩置県後、封建制のシンボルである松本城は不要となり、筑摩県が明治政府に天守の取り壊し伺い書を提出し許可されると、松本城は競売に付されました。これにより、松本城は309両1分永161文4分で払い下げとなり、このうち天守は235両1分永150文で笹部六左衛門という方に落札されました。
この時、松本城天守破壊を知り保存活動を進めていたのが市川量造氏等です。市川氏等は天守閣保存の建言書を上申し、資金集めのため博覧会の開催を呼びかけました。松本城天守を会場として開催された博覧会は計5回開かれ、第1回目の様子を報じた新聞は、来場者が日々4、5千人を下らなかったと伝えています。これにより天守は破却されることなく現在までその姿を残しています。

「国宝松本城を世界遺産に」推進実行委員会では、市川量造氏の命日を迎えるにあたり、松本市内の学校に通う中学3年生を対象に「松本城の日新聞」をお渡ししました。
松本の宝、明治時代から地域の人々によって大切に受け継がれてきた松本城。
当実行委員会では、若い世代の皆さんに松本城の歴史を知っていただき、さらに次の世代へ伝え受け継いでいただけるよう今後も活動を続けてまいります。

松本城の日新聞

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