玄蕃石(げんばいし)伝説

 

玄蕃石(7月20日撮影

松本城の東側にある太鼓門枡形の石垣のうち、一番大きな石は玄蕃石(げんばいし)とよばれています。これは、石川数正(いしかわかずまさ)の子、石川康長(やすなが)が、玄蕃寮(げんばりょう・律令制で治部省に属し、僧尼の監督、外国使節の接待などをつかさどった官司の長)の頭領である、玄蕃頭(げんばのかみ)の位であったことに由来します。
玄蕃石には、玄蕃頭であった康長に係る、ある伝説が残されています。康長は、松本城を築く際、伊深(松本市岡田、別に山辺山という説もあり)にあった巨石を、太鼓門の脇の石垣として据えるため、石の上にのり、お城まで運ぼうとしました。ですが、石を運ぶ者の中に不満を訴える者がいました。それをきいた康長は石から飛び降り、大勢の前でその者の首をはね、首を槍で高くかかげました。そして、再び石にのり大声で号令をかけ、石を引かせたといいます。この出来事は、のちに「玄蕃石伝説」とよばれるようになりました。
玄蕃石は、高さが約4メートル、重さが22.5トンの巨石です。玄蕃石は、太鼓門枡形の威厳を示すために据えられたといわれています。「玄蕃石伝説」は、康長が松本城を築いた名残として、現在も語り継がれています。
(参考:松本市教育委員会『わたしたちの松本城』
コトバンクhttps://kotobank.jp/ 大辞林大三版「玄蕃寮」)

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